土曜日の午前中、第65会 東海北陸ブロックPTA研究大会に参加してきた。といっても、実際の研究発表は、前日金曜日で、そこには、うちの小学校の女性副会長が行ったので、私が参加したのは、開会式と記念講演だけだが(なぜか、初日に分科会があって、二日目に開会式があるという日程だった)。
参加する前から、プログラムを見て知っていたが、開会式で、「国家斉唱」というのがある。公教育においてさえ、いや、公共の場であればこそ、世間で意見の対立するものの一方のみを強制したり、強制しないまでも反対の人が着席などの形で思想を公表しなければならないような状況に置くこと自体が、民主主義とはなんたるかを理解しない暴挙だと思うが、ましてや、圧倒的多数が保護者の参加による大会で、君が代を斉唱するとはなんたることだろうか。唖然とするほかない。当然、起立もしなければ斉唱もしなかたった。
君が代斉唱の後に、「PTAの歌」斉唱というのもあった。こちらは、曲もわかるので、熊本県PTA連合会での曲紹介のページにリンクを張っておく。
個人的に二番と四番の歌詞が良いと思うので、リンクだけでなく、ここで紹介しておきたい。
2.みどりに輝く 学校が
明るい家庭を 呼んでいる
希望の町よ 希望の村よ
文化の光に 手をのべて
子どもといっしょに 進もうよ
4.世界を結んだ大空に
ひびいて子どもの 胸が鳴る
あしたの鐘よ 夕べの鐘よ
平和で住みよい 日本を
みんなでいっしょに つくろうよ
ところで、大会冊子の最初のページにある楽譜と歌詞を見ながらみんなが歌っていたのだが、3番にさしかかったときに、会場がざわめき始めた。「最後まで歌うのか?」という驚きだったとおもう。その結果、4番が始まるときにフェードアウトしていって、結局3番までしか歌わなかった。他意はないのだろうが、結果として、君が代は歌ったが、「平和で住みよい日本をみんなでいっしょにつくろうよ」という歌詞は口ずさまなかったわけだ。
で、「そもそもPTAって何?」と思って、調べてみると、社団法人 日本PTA全国協議会のHPにちゃんと沿革が書いてある。そこのなかで重要と思われる日本PTAの誕生と発展というところを読んでみた。そこに書いてあることの中で、いくつか引用してみよう。
「先生が中心となった会ではなく,先生と父母が平等な立場に立った新しい組織を作るのがよい。」
「児童生徒に限らず,子ども達の問題に関心を持っている人々が参加することは差し支えない」、
「完全に民主的な団体であるから」
「父母も、校長も、先生も、有力者も、平等の立場で会員として参加し、会の運営を民主的に進めていくことにするがよい。」
会を作ることによる利益として、
* 学校の設備が充実するようになる、
* 義務教育を受けるべき子供が全部就学できるようになる、
* 民主主義の教育が理解できるようになる、
* 自分たちの知識や教育を身につけることができる、
* 児童生徒を良い環境の中におくことができる
これが、PTAをつくった趣旨のようだ。
そこで、大会を振り返ってみたい。主催者あいさつでは、名古屋市小中学校PTA会長が「PTAの形骸化ということが言われるが、よくする努力もしないで形骸化などと言わないでほしい」といった発言をした。しかし、開会式では、国家斉唱、主催者あいさつ、来賓祝辞(名古屋市長と名古屋市議会議長)、来賓紹介、功労者表彰、祝電披露などで、1時間も費やしていた。こんなことを見たり聞いたりするために、参加したい保護者がどれだけいるのだろうか。動員があるから、参加者を確保しているだけで、ほんとうに教師や保護者が参加したいものをつくってきたかが問われるのではないか。
そして、その後、木場弘子さんの「のびのび子育てのススメ」という講演があった。木場さんといえば、あのかつての中日の名投手、与田剛と結婚したスポーツキャスターで、千葉大学で講師などもしているようである。話の中身のいくつかを紹介すると、木場さん自身が最近関わっている環境問題や環境教育に関する話、社会問題に関心がつながる学校の授業の重要性についての話、家庭でのコミュニケーションを妨げるディスプレー症候群の話などがあった。
親がすべきことという観点からすると、こういう大会に来ている/来ることの出来る保護者には、参考になる点もあるだろう。しかし、「親が努力すべきだ」的な目線も含まれていて、いま問題になっている貧困家庭は、それ以前の労働政策の転換や福祉政策の充実をしないと無理だよな~、と思うような点もあった。先のPTAの歴史で言えば、「義務教育を受けるべき子供が全部就学できるようになる」という視点の話。
いずれにしても、保護者のニーズに応える運営にしてこなかったことがPTAを形骸化させてきたのだし、このままではジリ貧だよな~と思った次第。とりわけ、次の役員選出に苦労している中ではね。